田中さんのブログ紹介です
 ※田中慎吾さんと共同で友活クラブを運営しています。

※下記の「田中」さんのお名前は当サイトの管理人の方です。

「からまわり」という田中理論があります。

結局、やれる事ことと言えば・・・

 いまから・・

 ここから・・

 自分から・・

 じゃんけんで・・

 TPOが適切でない・・

 バランスが適切でない・・

 より道最優秀作品・・

 時事作品・・

 芸術作品・・

 ナンセンス書・・

 コミカル書・・  でしょうか。

今のまわりに、今日があり今週があり、今月があり今年があり、今生があるここのまわりに 十条があり北区があり、東京があり、世界があり、宇宙がある自分の周りに、家族がいて社員がいて、域住民がいて日本人がいて、人間や動物や植物や自然環境があるだから身近なところからちっぽけな事から自分から始めまわりに波紋型の影響力を与えことを「からまわり理論」と名付けました。

他にも「より道理論」「とともに理論」「わけるが価値理論」など多数あります。


私は2011年1月1日から「すずらん」の経営をはじめました。
※すずらんホームページ https://t-fukushi.net/test/cp/company.html


併せて王子本町にアパートを借りてmixiと言うSNSに毎日「田中理論」などを投稿していました。

その時に書いた文書をそのまま転記します。


ーーじゃんけん理論一番強いのは?グー?チョキ?パー?まったく意味の無い質問だよねーー

相手がグーを出した時はパーだし相手がチョキを出したらグーだしつまり状況によって最善の手は変わる(最善の手は相対的なもの)。

これが、僕の考えた じゃんけん==理論強いとか弱いとかだけでなく、良いとか悪いとか正しいとか間違っているとかも状況によって変化するものだと考えると、何が正しいとかの議論ではなくなるよね。

またじゃんけん理論は仕事などの未来予測にも応用できる現状と、サイクルを認識することができれば 成功するための「次の手」がわかるバブル時代に高価格のものが売れてそのあと低価格に振れて100円均一とか流行しこれから適正価格の時代が訪れるだろうとの予測現状が「安い価格」のときは「適正価格」を設定する(価格)。

 高い->安い->適正価格->(高い) の循環よく時代は繰り返されるっていうけど 流行は循環している髪型なども、長い、短い、ふつうみないに変化をとらえたとすれば今、長い髪が流行していれば次に 短い髪が流行しそうだって予想できる(頭髪、スカート丈) 長い->短い->普通->(長い)の循環(Yシャツ)      い->淡い色->濃い色->(白い)(家電)       単機能->多機能->最適化-> (単機能)

あとひとつ!

じゃんけん理論の応用として二手先を実行すれば負けるけど一手前を実行すれば勝てるってこと。じゃんけんだと相手が グーを出しているとき 二手先はパーで負けでも一手前パーは勝ち。

つまりこれは仕事などで 自分が世の中に遅れてしまったとき追いつくとか 追い越すことを考えるよりその前の時代に戻る(一手前)だと、勝てるってこと、周回遅れで先頭になる、たとえばガスコンロのメーカーがオール電化のコンロを開発に遅れたとき炭火コンロを発売すれば 売れるあまり うまいたとえになっていないかもしれないけど、じゃんけん理論わかってくれた?


「より道」は私の思想の基盤をなす考え方です。何かを否定するのではなく、それよりより良い方法を探求する生き方の提案です。

現代社会の根本的な問題を私は「対立」だと考えています。「思想」「主義」「宗教」などの違いが「対立」を産み、戦争に発展したり「支配構造」を生み出したりしています。私は全ての事を否定しないでTime(時)、Place(場所)、Occasion(場面) 物理的バランス(量的) 心理的バランス(質的)と考えたらより良いと思っています。


「とともに理論」と同様に「共存」のための方法論です。初期の「より道」は 営業力 より 影響力みたいなフレーズでした。昨日の話に出た内容をより道的に表現すると 集める より 集まるですね韻を踏んでつくりたいのですが 指示 より 支持 注意 より アドバイスなどもあります。 このふたつは今、例として創りました。

そして私は、自分の事を天才的だと思ってしまうのです。そんな変な私ですがよろしくお願いいたします。

友活サロン参加者から、より道を集めて年に一回「より道コンテスト」をやりませんか?

令和7年度 など各賞で今年の漢字みたいにテレビて放映してもらう「さよなら」より「さよおなら」みたいないろんな賞を考えて将来はアカデミー賞みたいなレベルにしましょう!

もしかしたら俳句より短い世界に誇る日本文化として流行するかも!

あとひとつ、より道の「より」には寄るの意味を重ねています。よりそう、より合うなとつまりひとりで生きていないまわりのひとが必要たとの意味があります。より頼る=他寄るを発見しました。言葉は叡智です。多くの人に使われて淘汰された言葉が残り、またつくられています。私は言葉の音が意味を持っている(意味を持っていた)と考えています。

そうやってダジャレを正当化しています。(笑)


田中さんのyoutubeチャンネル

 https://www.youtube.com/watch?v=xn9EsFey0dw

https://www.youtube.com/watch?v=rcpXz7ra4iM

https://www.youtube.com/watch?v=Vtskt-3AnvY

伊藤さんに書いた 「とともに」のLINEです。 --- 私が発見した「とともに」は もっと現実的な利用法があります。 

「わが より とも へ」 つまり 私は を 私と   助詞の「は」を「と」に変える 私が を 私も   助詞の「が」を「も」に変える この「言い換え」が世界を平和にしていくための方法になると考えています。 また 「わが」とは我儘、自分だけのニュアンスです。 それに対して 「ども」は友、共、朋、知、智おはようございます。 私が発見した「とともに」は もっと現実的な利用法があります。 「わが より とも へ」 つまり 私は を 私と   助詞の「は」を「と」に変える 私が を 私も   助詞の「が」を「も」に変える この「言い換え」が世界を平和にしていくための方法になると考えています。 また 「わが」とは我儘、自分だけのニュアンスです。 それに対して 「とも」は友、共、朋、知、智 などの「一緒に」というニュアンスがあります。 私たち人類史は 「個:わが」として生きるのではなく 「群:とも」して生きる事を選びました。 人生の中で、1日の中で 一時的にひとりになりたい時やひとりでいたいこともありますが、基本的に人は集団の中で安心して生きる方が幸せだと思っています。 特に「子供」と「老人」は群で生活した方が良いと考えています。 そんな意味でも私たちの仕事(福祉)は大切な役割を担っていると自負しています。 などの一緒にというニュアンスがあります。 私たち人間は 「個:わが」として生きるのではなく 「群:とも」して生きる事を選びました。 人生の中で、1日の中で 一時的にひとりになりたい時やひとりでいたいこともありますが、基本的に人は集団の中で安心して生きる方が幸せだと思っています。 特に「子供」と「老人」は群で生活した方が良いと考えています。 そんな意味でも私たちの仕事は大切な役割を担っていると自負しています。



毎日新聞の記事より転載 2025年2月12日

救急搬送されても

 ――「身寄りなし」といっても、それほど珍しいことではないですよね。

 ◆天涯孤独というイメージがありますが、戸籍をたどれば意外に親戚がいるものです。しかし、疎遠であれば、事実上、身寄りなしなので、「身寄りなし」な人は意外にたくさんいると思います。親戚でも、20年も会っていなければ、身元保証などしません。当たり前のことです。

 ――実際にはどんなことで困っているのでしょうか。

 ◆病院も施設も、家族がいる、身元保証があることが前提になっています。施設の入所をやんわりと断られるし、入院も難しくなります。

 私が聞いた例では、救急搬送の場合でも、まず、ケアマネジャー(ケアマネ)が救急車に同乗することを求められます。受け入れ先の病院を探すのですが、身寄りがないと救急隊員が伝えると、断られることが続くそうです。横で見ていたケアマネが「身寄りがない」と伝えないことはできないのですか、と言うほどだったそうです。最終的には公立病院が受け入れることが多いのですが、しかし、身寄りがないというだけで、公立病院が埋まってしまうと、それも問題です。

中村琢磨撮影

 ――なぜそんなことが起きるのでしょうか。

 ◆病院は付き添いだけではなく、本人の情報も知りたいのです。医療同意をしてくれる親族がいるかどうかもあります。1人暮らしの方が救急搬送されてもそうした情報がわかるようなシステムが必要ではないかと思います。

 医療同意は大きな問題です。本来は本人の同意があれば、親族の同意はいらないはずなのですが、病院は訴訟リスクを恐れて親族の同意をほしがります。

3大課題

 ――ほかにはどんな課題がありますか。

 ◆私は身寄りなし問題の3大課題と言っていますが、医療同意のほかは、おカネの管理と死後対応です。逆に言えば、この三つが解決できれば、身寄りがなくてもそれほど恐れる必要はありません。

 おカネの管理は、本人の意思決定ができなくなったときは本当に大変です。入院費をどうするか、ということから、関係者はみなもめます。金融機関などは成年後見人を立ててくださいといいますが、何カ月もかかります。それまでどうするのかということです。

 決定打はありません。会議をしてみなで分担しようという結論にしかなりません。現状ではこれをケアマネが1人で担っていることがあるので、それでは本当に大変になります。ケアマネがお骨拾いをした、という話まであるのです。

中村琢磨撮影

 ――最低限のことが欠けているように思います。

 ◆たとえば死後対応は、最終的には行政の対応があります。しかし、霊安室から火葬場まで直送で、お葬式も何もありません。人生の最後がそれでいいのでしょうか。

 ――それにしても身寄りがないと、入院先がみつからないのはどうでしょうか。

 ◆これはもう差別だし、排除です。支援するシステムが必要です。基本的な情報を市町村が管理して、いざというときに関係者と共有できるようにするだけでも違ってきます。

 ――身寄りがない人への偏見はありますか?

 ◆普段はないのですが、いざとなると、たとえば病院は求めてきます。急にあらわれてくるのです。

 根底にサザエさんみたいな家が当たり前だというイメージが根強く残っています。制度もそうです。今の日本は家族がいることが前提になっています。

 もちろん、当事者も備えておくべきです。けれども、身寄りがない人は、実際はもうマイノリティーではありません。世間の雰囲気も、もう少し、変わってほしいと思います。

 ただ、医療同意も、以前は医師との面会を求められましたが、コロナ禍があってからは、電話でも認めるところが増えました。また、自治体の性的少数者らのパートーナーシップ制度で、医療同意を認めるところもあります。少し変わってきていますが、まだまだです。

須貝秀昭さん=本人提供 


無料でホームページを作成しよう! このサイトはWebnodeで作成されました。 あなたも無料で自分で作成してみませんか? さあ、はじめよう